わが国の緊急事態宣言は、諸外国とは異なり、強制力や罰則を伴ったものではなかったが、
大多数の日本人はそれに従って、経済活動や 外出を自粛し、その結果、感染爆発や 医療崩壊など危惧された事態をものの見事に 回避した。
新型コロナウイルスの感染防止の意識が高まるなか、 非協力的と見えた他人を一方的に糾弾する 「自粛警察」が広がった。
飲食店への嫌がらせや県外ナンバーの車を威嚇する などの問題行為だ。
ここでは、「自粛警察とは?」「日本人の心理は”集団主義的”か?」「コロナ警察の心理とは?」
に迫ってみました。
Contents
自粛警察(コロナ警察)とは?
自粛警察(コロナ警察)とは、 新型インフルエンザ等対策特別措置法第32条に 基づく緊急事態宣言に伴う、
行政による 外出や営業などの自粛要請に応じない個人や 商店に対して、偏った正義感や嫉妬心、
不安感から、私的に取り締まりや攻撃を行う 一般市民やその行為・風潮を指す俗語・ インターネットスラングである。
自粛要請に応じない店舗などに対して 嫌がらせや落書き、通報などをする人々を指す。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行による社会的風潮のひとつとして生じた。
コロナ自警団(コロナじけいだん)、自粛自警団(じしゅくじけいだん)、又は自粛ポリス(じしゅくポリス)とも呼ばれる。
日本人の心理は「集団主義的」か?
日本人は集団主義的で同調圧力の高い国民性を有しているということは、 昔からよく言われている。
よく知られた外国のジョークで、 転覆しかけた船から海へ飛び込むのを ためらう人に対し、
アメリカ人なら「ヒーローになれますよ」、イギリス人なら「紳士ならそうすべきですよ」と言うと効果的であるとされ、
日本人には「みんなそうしていますよ」 と言うのがよいのだそうだ。
日本文化はまた、「恥の文化」とも言われる。内的な倫理基準で物事を自律的に判断し、行動の是非を決めるのではなく、
「そうしないと恥ずかしい」と人の目を気にして、いわば外的な倫理基準で行動の善悪を判断する。
これもまた、集団主義的で、同調圧力に基づく行動規範であるといえる。
コロナ警察の心理は?
🔸行動は過剰であり、ヒステリックである。
心理学的知見からいえることは、第一に 彼らは、過剰に集団主義的で、集団のルールを 個人の自律や尊厳よりも過度に重視する人々 だといえる。
コロナ警察」は、社会を守るという「正義」を盾にして、ルールを守らない者は「罰」を与えるべきだと考え、過剰に行動する。
「コロナ警察」には、他人に罰を与える権限が集団から付与されているのだろうか。
また、その目の前の小さな違反は、集団全体を危機に陥らせるほどのものだろうか。
このような合理的判断を欠いているために、彼らの行動は過剰であり、ヒステリックだといえるのである。
🔸彼らは自身で物事の判断をするという 知的労力を放棄した人々であるといえる。
「ルール」にがんじがらめになるあまり、個々のケースを状況に沿って丹念に判断することができない人たちであり、知的柔軟性を欠いた人たちである。
🔸キー・ワードは「不安」と「不公平感」である。
このような人々の心理の根底にあるものは、過度な「不安」である。
未知の感染症拡大のなかで、 不安にさいなまれた挙句、「とにかく自粛」 「マスクが大事」と過剰に紋切型の反応をする。
そのとき、なぜ自粛をすべきか、どこまで例外が許されるか、なぜマスクをすべきかなどという、
面倒で複雑な判断をする心理的余裕はない。われわれは、漠然と「世の中は公平にできている」という信念を有している。
これを「公平社会信念」と呼ぶ。
そして、世の中は公平なのだから、悪いことをした人には「バチ」が当たると考える。
ここから発展して、みんなが我慢して大変なときに、それをしないで気ままに生活している人はずるい、
不公平だ、「バチ」が当たって当然だと考えてしまい、自ら罰を与えることにも抵抗感が薄まって しまうのである。
まとめ
「コロナ警察」の人々を糾弾するだけで物事は解決しないことがわかるのです。
彼らの心理の底にある不安や不公平感を抜本的に解決することこそが、社会の、そして政治の役割だといえるだろう。
日本特有の現象を皆さんは、どう考えますか?
最後までお読みいただきありがとうございます。
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