今日ついに最終回を迎えるドラマ「半沢直樹」(TBS系)。
初回から9話連続で20%台と高視聴率を獲得するお化けドラマだが、国民的な熱狂の裏で収録遅滞が慢性化し、現場は常に綱渡りの状態だったという。
その原因が、福澤克雄監督のパワハラだったというのです。
ここでは、「福澤克雄監督のWiki経歴」「半沢直樹の撮影でどんなパワハラがあったか?」
に迫ってみました。
福澤克雄監督のWiki経歴
◆ 名前:福澤克雄(ふくざわかつお)
◆ 愛称:ジャイ
◆ 生年月日:1964年1月17日(56歳)
◆ 出身地:東京都
◆ 学歴:慶応義塾大学卒
◆ 職業:ドラマ演出家、映画監督
◆ ジャンル:テレビドラマ,映画
福澤克雄監督の経歴
・福澤諭吉の玄孫である。諭吉の次男・福澤捨次郎(時事新報社長)を曾祖父、福澤時太郎を祖父とし、時太郎の子である福澤和子の子である。
叔父に和子の弟の福澤武(三菱地所会長)、親族に福澤幸雄(レーサー)などがいる。 ・学生時代まではラグビーの有名選手だった。
・大学時代に関東代表、学生日本代表、日本代表A(23歳以下日本代表)にも選ばれ、190センチ100キロという体格だった
・大学卒業後は富士フイルムに入社するも、映画・テレビドラマに関わりたいという夢を捨てきれず、1989年、東京放送(TBSテレビ)に中途採用。
・入社早々、ドラマ部に配属され『3年B組金八先生』シリーズ、『砂の器』『さとうきび畑の唄』『華麗なる一族』など、数多くのテレビドラマの演出を手掛ける。
特に『3年B組金八先生』では第5シリーズから第7シリーズまで35本の演出を手掛け、「金八」人気の再燃に貢献した。
福澤監督のパワハラ気質の驚異は?
スタッフや俳優と衝突する事も少なく無かったといい、様々なエピソードが残されている。
例えば以下のようなエピソードがある。
• 『3年B組金八先生』ではダイナミックな演出が評価されているものの、原作者の小山内美江子とは事あるごとに衝突し、シリーズ途中での小山内の降板に繋がった。
その第7シリーズでは覚醒剤を巡る描写について賛否を呼び、第8シリーズは降板する運びとなった。
• 演出作品において殴り合いのシーンを撮影した際、迫力を出す為に出演者に『本気で殴り合え』と強要した事があるという。
出演者が応じた結果、撮影後に顔が腫れ上がってしまった事も少なくなかったとのこと。 半沢直樹の撮影にも影響したのです。
🔸第8話の延期:脚本家の八津弘幸さんが続編では外されたことです。
プロデューサーや監督のダメ出しが続き、コロナ禍に関係なく第1話から脚本の仕上がりが遅れていた。
ついに、脚本家の八津弘幸さんが続編では外されたことです。
🔸台本は伊與田プロデューサーと脚本家で土台を築き、福澤監督が細部をチェックして作り上げていくスタイル。
監督もプロデューサーも脚本家を缶詰にして、これじゃダメだと何度も突き返して、TBSの本社などに1週間居残らせることもザラです。
脚本家として自我が芽生えた八津さんも、耐え切れず不協和音が生じたのでは
まとめ
ほんの一部の“さわり“ですが、監督の心理として、素晴らしい劇に仕上げたい心は同じと思います。
問題は、出演者やスタッフとのコミュニケーションだと思います。
福澤克雄監督は、「半沢直樹」以前にも同様の事件を起こしており、視聴率が記録破りとはいえ、今後に禍根を残したようです。
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⇒竹内結子さんのWiki経歴と家族は?旦那・子供が不憫です?産後“鬱”か? の記事はコチラ
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