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人気歌舞伎俳優が再び大ピンチだ! 4年前、トップ芸妓との不倫騒動を起こした歌舞伎俳優の中村芝翫(55)が、

今度は一般女性(32)と不倫していると、7日発売の「週刊文春」にすっぱ抜かれた。

かつて妻でタレントの三田寛子(54)に叱責された反省はどこへやらだ!

ここでは、「中村芝翫・三田寛子さんのWiki経歴と家族」「三田寛子の対応は?」

に迫ってみました。

Contents

中村芝翫・三田寛子さんのWiki経歴と家族

中村芝翫さんのWiki経歴

◆ 名前:中村芝翫(なかむらしかん)

◆ 本名:中村幸二(なかむらこうじ)

◆ 生年月日:1965年8月31日(55歳)

◆ 屋号:成駒屋

◆ 襲名歴:1. 中村幸二、2. 三代目中村橋之助、3. 八代目中村芝翫

◆ 出身地:東京都出身

◆ 身長:178㎝

◆ 学歴:青山学院中等部卒業

◆ 職業:歌舞伎役者、俳優。

◆ 家族:妻・三田寛子、子供・四代目中村橋之助(長男)、三代目中村福之助(次男)、四代目中村歌之助(三男)

◆ 所属:スプリングフィールド所属(2012年より太田プロと業務提携)。

中村芝翫の経歴

・父親:父は七代目中村芝翫、兄は九代目中村福助。

 長姉は日本舞踊家で中村流家元の2代目中村梅彌、

 次姉の好江の夫が十八代目中村勘三郎であり、

 義兄の勘三郎が主演を務めたコクーン歌舞伎でも多く出演している。

・六代目中村勘九郎と二代目中村七之助は甥にあたる。

・年少時から積極的にテレビなどにも出演し、歌舞伎界のみならず一般的知名度も高い。

・父譲りの古風な顔立ちで、立役を得意とする。近年では義太夫狂言にも積極的に取組む。

・1970年5月、国立劇場『柳影沢蛍火(やなぎかげ さわの ほたるび)』の吉松君で、本名の中村幸二を名乗って初舞台を踏む。

・2009年公開の映画『GOEMON』で織田信長を演じ、戦国の三英傑すべて(豊臣秀吉『太閤記〜天下を獲った男・秀吉』、徳川家康『武田信玄』)を演じた。

・2011年10月に父が逝去したことを受けて、日本舞踊中村流の相談役に就任する。

・2021年1月7日、週刊文春が不倫報道を掲載した。

記事によるとアンジェリーナ・ジョリー似の23歳年下の女性と、昨年11月には仕事にて訪れた京都にて合流し3日にわたりホテルで夜を共にしり、

更に12月には東京でも密会するといった不倫関係にあると、4年ぶりの不倫スキャンダルが報道された。

三田寛子さんのWiki経歴

◆ 名前:三田寛子(みたひろこ)

◆ 本名:中村敦子(なかむらあつこ・旧姓・稲垣)

◆ 生年月日:1966年1月27日(54歳)

◆ 出身地:京都府京都市

◆ 血液型:B型

◆ 身長:160㎝

◆ 学歴:明治大学付属中野高校定時制

◆ 職業:タレント、元女優、元歌手。

◆ 趣味:日本画・かな書・書道・茶道・お菓子作り:

◆ 活動期間:1980年~

◆ 事務所:プントリネア

三田寛子さんの経歴

・1980年に雑誌『セブンティーン』のモデルに応募し合格、 これがきっかけで上京。

同年10月、ソニーのカセットデッキのCMへの出演を経て、1981年にTBSのドラマ『2年B組仙八先生』でデビュー。

・1982年3月21日、CBS・ソニーより、南沙織、山口百恵など300人あまりのアイドルやアーティストを送り出した酒井政利プロデュースにて「駈けてきた処女」(作詞:阿木燿子、作曲:井上陽水)で歌手デビュー。

・1991年に中村橋之助と結婚。 第一子を流産した後、将来の歌舞伎役者となる男児を3人もうける。

その後は「4人の歌舞伎役者」を抱える“梨園の妻業”が生活の中心となったが、「主婦タレント」「元アイドル」としてメディアに登場している。 ・ ・

中村芝翫の相手A子は誰?

4年前の浮気は、以下です。

歌舞伎俳優、中村橋之助さんが、京都・先斗町の人気芸妓と浮気をしていることを2016年9月15日発売の週刊文春が報じました。

文春砲を受けて、中村橋之助さんは9月14日の夜に都内で緊急会見を開き不倫騒動について「私の不徳の致すところ」と謝罪をしました。

中村橋之助さんが密会していた浮気相手の芸妓の名前は「市さよ」さんと言います。

妻の三田寛子さんは、怒りはあるものの、離婚に発展することは無いと信じていると答えました。

今回の浮気相手は誰なのでしょうか?

お相手の女性はアンジェリーナジョリー似の美女のA子さん32歳でした。

大阪在住のA子さんは中学時代から熱心な歌舞伎ファンだとか。

2016年には橋之助から芝翫に襲名した際に240万円の楽屋用の鏡台をプレゼントするほどの金持ちなようです。

240万円の鏡台っていうことに驚きですが、年収はいくらくらいなんでしょうね。。。

「(A子さんが)これまで通り1泊のつもりで会いに行ったらどんどん延びて、

週間以上になったと。 芝翫さんのことは本名の『幸二さん』と甘い声で呼びます」(A子さんの知人女性)

三田寛子は許すのか?

1度目の不倫、つまり’16年に京都の人気芸妓との関係を報じられた際は、自宅前に詰めかける報道陣を前に、妻・三田寛子の夫をかばう“神対応”が話題となった。

その後、彼女はワイドショーのコメンテーターに引っ張りだこになるなど、夫の不倫で“株を上げる”かたちとなったわけだが、 今回の不倫でも同誌のインタビューに“成駒屋の女将”としての振る舞いをみせた。

夫の行動に苦言を呈しつつも以下のように語った!

《(息子)三人は歌舞伎役者として、主人の背中を見て精進していますので、父親をリスペクトしている。 それはこれからも応援していきたいし、家業ですから、家族一丸となってやっていかなければならない》

また、離婚についてもきっぱり否定。

《(不倫を)許す、許さないとか、そういう問題じゃないんですよね。 家族の絆はそんなもんじゃないと思うので》

と不倫相手も嫉妬してしまうような対応をみせ、2度にわたる不倫劇を一蹴するのであった。

まとめ

 離婚はなさそうですね!

しっかり者の“女将”としての自覚は親譲りのものがあるようです。

親の厳しい教育なのだそう。 京都市下京区の紋付に使う生地を黒く染める『黒染屋』を営んでいた祖父母が住む実家では、親の目を常にうかがう“緊張の日々” をすごしていたのだという。

梨園の妻という特殊な世界でもきっちりと仕事をこなしてこられたのは、厳しくしつけられた教育のたまものかもしれない。

 夫の不倫を前に気丈に振る舞うのが父の“人前で泣くな”の精神のあらわれなのだろうか。

離縁関係者は、 直撃取材に対しても、流産のことについて触れ、

《絶望にさいなまれていた私を、主人が優しく、愛情を持って支えてくれた。このとき、この人と一生添い遂げると誓ったんです》

と強く語っていた。

文春記者を前に繰り返しこのことを語るということは、やはり本人にとってもよほど大きな出来事だったのだろう。

 

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最後までお読みいただきありがとうございます。


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