国内で新型コロナウイルス感染症ワクチンの接種が始まった。
接種が先行している海外では、有効性が高いとの研究結果も出されるなど、コロナ収束に向けた楽観的な空気も生まれつつある。
そんな中、コロナ収束に対して不安を口にする人々が目立ってきている。
これは「コロナロス」という言葉に見事に象徴されている。
ここでは、「コロナロスとは?」「コロナロスの理由と重要点は?」
に迫ってみました。
Contents
コロナロスとは?
もともと「コロナロス」は、最初の緊急事態宣言が発出された昨年4月あたりからネット上でささやかれ始めたもの。
自粛とテレワークの快適さになじんだ人々が、コロナの収束により以前のライフスタイルに戻ることを、恐れる心理を見透かした意味合いがあった。
「コロナロス」や「コロナ・アンビバレンス(相反する感情を同時に持つこと)」という言葉を使いその矛盾する心理があるのです。
また、業種によってはコロナでかえって潤った人たちを揶揄する意味合いも含まれていたようである。
感染者数が鈍化するたびに話題に上ることが多かった。
昨年の段階では、まだ少数の人々の間で共有されていた感覚だが、ワクチンの接種が追い風となって一般化しそうな気配がある。
「コロナロス」の○○ロスと言う言葉を用いるのは、ご自身にとって大切にしていたものや大好きだったものを無くしてしまったり失ったりした時に感じてしまう喪失感を指しています。
語源は、英語になります。loss(ロス)と言う言葉からきています。
意味は「喪失、損失、紛失、損害、減損」と言った意味になります。
英語だと、喪失損失した事により陥ってしまった状態を指し。日本語だと、○○の所に大切にしていたものを入れ、
その喪失感により精神的ダメージや身体のダメージについて表現する時に使っています。
コロナロスの理由は?
このようなコロナロス、正確に言えば、「コロナが収束した後の世界に不安を覚える」理由は、主に2つあることが推測できる。
① コロナを理由に可能になっていた生活や仕事の自律性が失われること
② コロナの只中にいることで生じていた非日常的な感覚が失われること
1年前、WHO(世界保健機関)がパンデミック(世界的な大流行)を宣言し、日本で緊急事態宣言が発出されると、
不要不急の外出自粛、出勤者7割減などといった行動変容を促す強い要請により、
フルリモート勤務への移行や飲み会の禁止など従来の慣習を大きく変える動きが拡大した。
以降、多かれ少なかれ新しい状況に自分を適応させる努力が、物心両面でなされたはずである。
いわば「非常時への適応」が広く推奨されたわけである。
だが、当たり前だがコロナが収束すれば、今度は「日常への適応」が必要になる。
これは自然災害などに遭遇したストレス反応の経過における「再適応期」に当たる問題として捉えられる。
これまでの生活や働き方をコロナに適応させるだけでなく、それをプラスの側面から捉え直すといった思考への切り替えも行い、
その結果、価値観や人生観に少なからぬ影響をもたらしたのである。
自粛生活をきっかけに何が自分にとって大切かが明確になったり、人間関係を整理したりした人は多いはずだ。
それらの一連の出来事が終わりを迎えることは、現在の適応形態を再び元の状態に戻すことに近く、 生活や働き方の問題以上にメンタルの問題として現れるのである。
再適応の困難だ。 災害(コロナ)の収束はいわば「祭りの後(ポスト・フェストゥム)」であり、心にぽっかりと穴が空いたような虚無感が待ち受ける。
コロナロスで重要点は?
もっと重要なことは社会との関連だろう。 単なる感傷で片付けるのではなく、可能になったことを手放さず、気付きを深めることが必要になる。
本当に避けなければならないことは、「コロナロス」といった言葉の背後で霞んでしまいがちな、 コロナ禍における失政や身近な人々の人間性を疑う言動、
それによるさまざまな被害について、「何事もなかったように忘れてしまう」ことではないだろうか。
今わたしたちは、マクロレベルでは、コロナ禍の遠因とされる野放図な経済活動などによる環境破壊とそれに伴う気候変動の悪夢を、
ミクロレベルでは、前時代的で非合理な政治と社会構造による悲劇や、生産性優先の風潮を推し進める無慈悲な人々を見いだしているが、
このような切実な問題意識をコロナが収束した後も持ち続けることができるかは大いに疑問だ。
まとめ
これほどに、世界を日本をかき回した「コロナ禍」で生活も「ウイズコロナ「アフターコロナ」と騒がれたので、
生活そのものが「コロナ」一色なので、「コロナロス」に陥る人も多いでしょう!
重要点が指摘されているように、「切実な問題意識」を持ち続ける事が重要なのです.
最後までお読みいただきありがとうございます。
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